他人の恋愛に口出しすることは無意味。

私はそう思っている。

恋愛をしたことがある。

形式的な初恋は小5の頃だったか。

学校の先生を好きになった。

若くて美人で優しく面倒見のいい人で、

生徒からも絶大な人気のある先生だった。

彼女にはあどけなさと色気があった。

当時の私は優しさに惹かれたのだと思う。

今なら別角度から好きになる自身があるが。

私が”形式的に”といったのは、

そこには愛がなかったから。

愛がない恋愛はナンセンスだ。

恋”愛”なのだから。

さて、本当の初恋を振り返ってみると、

多分、中学3年生の頃だったと思う。

男子校に通っていた私は、

隣の女子校の生徒を好きになった。

ストーキングして家を特定したり、

後輩を使ってメアドを手に入れたり。

しっかり抜け目なく、

健全な男子校生徒としてアプローチした。

そこには多少なりとも愛はあったと思う。

結果彼女とは付き合うことになった。

そして1年もせずして別れた。

当時の私には彼女の愛が重すぎたからだ。

それから5年後、

彼女がAVに出演していた話は、

また今度改めて話す。

彼女と別れてから大学生になるまで、

私は恋愛をしてこなかった。

愛ってなんだろう。

なんてことを考えていた。

そんな大そびれたことではない。

彼女ができない言い訳に過ぎない。

それでも、本当に考えていた時期はあった。

高校当時、セフレという

いいお友達が何人かいた。

性欲を満たす中でも愛は見つからなかった。

大学入学とともに上京した。

そこで私はとんでもないメンヘラと付き合うことになった。

詳しい話に関しては、

私の他の作品に綴ってあるので割愛する。

その人とは2年半付き合うことになった。

2年半で4回浮気をされた。

数え切れないほどの酷い経験した。

別れて数ヶ月経った時。

あの恋愛には愛がなかったな、と思った。

どうやって別れるか、

1年くらい考えていたから。

ちなみにだが、

SSS級のメンヘラと別れるのは、

SSS級の難易度を要する。

彼女が死ぬか私が殺されるかの世界だから。

カンネーの戦いにおけるハンニバルを憑依させるくらいしなければ、

切り抜けることは難しい。

別れた当初、

あの恋愛には愛がないと思っていたが、

数年経ってみると考えが変わった。

あそこには確かに愛があった。

細々した理由はたくさんあるが、

だいたい理由は一つに絞れた。

「2年半付き合った」

という事実がそれだ。

別れを考え始める前の1年間は

愛のある恋愛だったと思う。

いわゆる、

「盲目的な恋愛」

だったのかもしれない。

盲目的な恋愛。

よく耳にする言葉だが、

私は恋愛に盲目的になるタイプだった。

人を好きになると視野が狭くなる。

そのことに気づいたとき、

正直落ち込んだ。

自己嫌悪に陥りそうで。

メンヘラの性質と同じだ。

このままいけば私もメンヘラの仲間入り。

もしかしたらもう仲間かもしれない。

悩んでいるとき、

もう一度愛について考えた。

彼女のメンヘラに拍車をかけたのは、

間違いなく私だ。

彼女もそうだったが、

私も彼女を傷つけていた。

愛で人を傷つけてしまう。

それはなぜか。

盲目的になるから。

盲目的ってなに?

愛が強くなり過ぎて他が見えなくなる。

愛が強くなり過ぎるのが問題か、

他が見えなくなるのが問題か。

答えは後者。

私は恋愛によって盲目的になるタイプだから。

そもそも自分のことを考えているか。

私から別れを告げておいて、

虚無感が残るのはなぜか。

未練ではない虚無感。

それは多分私自身が傷ついているから。

恋愛に傷はつきもの。

でも大怪我をしてまでする恋愛に意味を感じない。

大きく傷つく前に恋愛を終わらせる方法。

というより、盲目的になる前に

大きく傷ついていることを理解する方法。

それが自分を相手を

傷つけない愛なのではないのか。

ではどうすればいいのか。

考えに考えた末

私が導き出した答えはシンプルだった。

「相手を大嫌いになったら別れる」

恋愛は不合理なものだ。

どれほど合理的に考えても、

感情という計算不可能な要素が入る。

その感情に振り回されるのではなく、

上手に利用するのだ。

不合理的な恋愛において重要なのは、

「好き」か「嫌い」の二択。

好きなものが嫌いになることもあるが、

恋愛においては、

嫌いな部分が見えてくる、

というのが厄介なのだ。

つまるところ、

「好き」で始まった恋愛を、

「嫌い」が勝った瞬間、

私は別れを決心しようと思っている。

難しいのは、

「好き」が残っている、

ということだ。

その感情が壁になる。

浮気なりDVなり育児態度なり、

「嫌い」という感情が芽生えたとき、

愛にストップをかける。

それと同時に、

「好き」という感情が存在したことが

逆側から愛にストップをかける。

通路が両方塞がれている状態だ。

愛の行き場がなくなり、

自分自身を盲目の世界に陥れる。

それならば割り切るしかない。

大嫌いになった瞬間が絶好のチャンスだ。

この機会を逃せば迷宮入りする。

「相手を大嫌いになったら別れる」

散々自分の感情と向き合った結果、

今今の自分に出せる全力の答えだ。


恋愛は自由だ、

という言葉があるがまさにその通りだと思う。

同性愛も歳の差愛も、

自分が思うように自由な恋愛をすればいい。

だって、恋愛自体が自由なのだから。

12歳、15歳、18歳、22歳、25歳。

それぞれ、私にとっての恋愛は形が違う。

人によっても、時代によっても、年齢によっても、

恋愛は自由気ままだ。

恋愛に振り回されてはいけない。

上手に付き合っていくべきだ。

アダムとイブが誕生した時から

愛は存在する。

愛は何千年の時を経てもなお

元気に動き回る。

私たちの大先輩だ。

他人の恋愛。

それは他人の先輩みたいなものだ。

他人の先輩はもはや私とは全く関係のない。

その関係に口を出すのは図々しい。

相談されたら曖昧なことは言えるが、

当然的確なことは言えない。

だって、他人の先輩の上、

自由気ままだし、形がないのだ。

もはや言葉の概念では追いつかない。

愛は私たち後輩に恋愛という恩恵を与えた。

私たち後輩はもらった恩を返す必要がある。

自分の愛とは自分自身で付き合っていく。

恩返しはその中でしか見つからない。

私の愛に対する考えは私にしか通用しない。

そんなことを言い訳にしながら

自分の行動を正当化する。

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