「できるわけがない」

やったこともやろうとしたこともない人間が私に向かって言う。

中学生の時、私の夢はサッカー日本代表に入ることだった。

当然周りは無理だと言う。

私の所属していた中学校の部活は非常に弱く、

年に1回でも勝つことができれば奇跡と言われていた。

私はそこのキャプテンを務めていた。

部員数は15人。コーチ、監督は不在。

顧問の先生がいたが、練習を見に来ることはほとんどなかった。

そんな弱小チームの中坊が日本代表に入りたいと言っているのだ。

当然世間は無理と言うだろう。

当時の私もそれは理解していた。

途中おかしくて笑えてきた。

洗脳されたように全員が同じ言葉を発するから。

それでも私は本気で夢見ていた。

私のサッカーの技術はと言うと、飛び抜けたものではなかった。

特別足が速いわけでもなく、身長も普通で、センスがあるわけでもない。

ただ、幼稚園の頃からサッカーに触れていたため、

周りに比べると、多少ボールの扱いに慣れている程度だ。

洗脳教育の途中だった中学2年生の私は洗脳される前に行動を起こした。

ここからどうしたら日本代表に入れるのだろうか。

まず考えたのは、サッカーに向き合うことだった。

朝6時、学校が開くのと同時に走って運動場にいく。

誰もいない練習場でひたすらボールを蹴る。

授業中は練習メニューについて考え、休憩時間はサッカーに関する本を読み漁る。

授業後、部活動では私が考えたメニューで練習をする。

部活後、学校が閉まる21時まで一人残り練習をする。

帰宅後は風呂とご飯を手早く済ませ、サッカーのゲームをした後就寝する。

朝6時に学校に行く。

しばらくはこんな毎日を過ごした。

「ボールは友達」という翼くんの名言があるが、

あれは「ボールも友達」だと思う。

その頃の私は「ボールだけが友達」状態だったから。

3ヶ月ほど集団スポーツにおいて単独行動を起こしていた私だが、チームメイトには<サッカーバカ>というレッテルを貼られただけで済んだ。

3ヶ月、サッカーと向き合うことで私なりの道を見つけた。

突破の道は『頭』にあった。

つまり、頭脳プレーで差別化するのだ。

中学生のサッカーは足が速いか、背が高いか、センスがあるかくらいで目立つ。

当時は体力も頭脳もそこまで必要なかった。

そこで私はとにかく頭を使ってサッカーをすることにした。

戦術や心理を事細かに勉強し、練習に活かした。

チームメイトには一回集まってもらいその話をした。

理解してくれたのは3人くらいだったが、当時の私にとっては十分すぎる数だった。

練習とフォーメーション、戦術を見直してからたった1ヶ月で結果は出た。

10月にして初めての勝利を勝ち取った。

我がサッカー部の勝利は実に5年ぶりらしい。

そこからは普通の中学校のサッカー部と同じ。

勝ったり負けたりして青春を謳歌した。

唯一違ったのは、敗戦後の対応。

私は負けの原因を試合直後に相手監督に聞きにいっていた。

それをメモして練習に活かす。

自分のチームを強くするためにこれを毎回していた。

すると、自然と応援の声が学内外からあがっていた。


サッカーは足じゃない、頭でやるスポーツだ。

そう確信していた中学3年生の春、私に転機が訪れた。

県代表への誘いだ。

どうやら中体連のおじさん達にとって私みたいな選手は可愛いみたいだ。

知らぬ間に地域の監督全員とのコネクションを作っていた私は県代表に呼ばれた。

結論から言うと私の快進撃はここで終わった。

県代表でも通用していたし、誰よりも活躍したという手応えもあった。

しかし、そんな私に監督連中が放ったのは「代表は無理」という言葉だった。

言われ続けた言葉だが、重みが違った。

信用を裏切られた衝撃は中学3年生の少年には強すぎた。

その言葉に加え、腰の骨折も相まって私の夢は途絶えた。

あの時、私は常識に負けてしまったのかもしれない。

「できるわけがない」

その言葉に何度も立ち向かって常識を崩そうと思ったが私には無理だった。

世界どこ見てもトッププレーヤーは並々ならぬ努力をしている。

それぞれに綺麗なストーリーがある。

私には美談が作れなかっただけという話だ。

私は声を大にして「日本代表になる」と夢を語り、みんなにバカにされ恥をかいた。

その代償に中学の3年間で「常識に立ち向かう」という非常識な行動を身につけた。

例えば、

他人に迷惑をかけない
恋愛は男性と女性で行うもの
電車で席は譲るべき

など、洗脳を受けてない人が考えれば気分が悪くなるような常識が存在する。

常識とは、時代と人によって作られたものだ。

時間が経てば立つほど洗脳は濃くなっていく。

私には出来ることが2つある。

人の洗脳を解くことと、非常識な行動をとること。

あの頃の非常識な少年は社会人に成長した。

トッププレーヤーの美談がよく放送される。本にもされる。

非常識な人間が常識を崩す瞬間が美しいのはもはや常識化している。

私もいつか、その美しい光景を自分の手で作り出したい。

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