ケータイが鳴っている。

残業が終わり家路についた。

時刻は23時を超えたあたり。

電話は後輩からだった。仕事の相談。

ゆっくり話をしたくて公園に寄った。

一つしかないベンチに女性が座っている。綺麗な女性だ。

彼女もまた電話をしていた。

しかしその口調は激しく、声量の調整を怠っていた。

「お前がやってねえからだろ、ふざけんな。」

あんなに綺麗な人なのに。

『人を見た目で判断してはいけない。』

誰もが一度は耳にする言葉。

この言葉の後ろから「偏見」という言葉が見え隠れしている。

見た目が悪ければ中身も悪い。

見た目が良ければ中身も良い。

綺麗な女性が暴言を吐いたら人は引く。

ヤクザが暴言を吐いても何の違和感もないのに。

綺麗な人は綺麗な言葉使いをするという綺麗事で偏見が作られている。

逆に「人は外見100%だ」という主張もある。

どっちでもいい。

カタチはカタチだなという話だ。

『爽』という漢字を見るといつも吐き気を感じる。

×が4つもあるとそれは爽やかではない。

気になって調べてみた。

「大」は死人で「×」は刺青。

成り立ちはどうみても爽やかではない。

さやわか、という意味を入れるカタチはどれでもよかったというわけだ。

『幸』という漢字についてもそうだ。

成り立ちは、罪人の手足にはめられる手かせらしい。

カタチは存在するだけでいい。

意味、中身が表現できる媒体となればいい。

話を戻す。

『人を見た目で判断してはいけない。』

人というのはただのカタチだ。

中身が表現するためのツール。

たまたま綺麗な人の中身が綺麗なだけ。

たまたま綺麗な人の中身が汚れているだけ。

人という生き物の存在はそんな具合だろう。

ちなみにだが、私というカタチには複数の中身が存在する。

多重人格というやつだ。

扱うのに時間はかかったが、今では完全に手懐けている。

手懐けたのは私というカタチの中にある意思だ。

複数の中身の存在は、時に私を破滅に追いやり、時に私を成長させる。

刃物だったものが自分の喉に突き立てられていることがあるのだ。

それを知った上で中身たちと運命を共にする。

今、私は見た目で判断されない人間を演出しているのだ。


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