うじゃうじゃ、という言葉を聞いて何を連想するだろう?

18歳の春。大学生活への期待に満ち溢れていた私の顔を歪めたのは満員電車だった。

20歳の秋。バイトに行くことが憂鬱になった原因は休日の新宿という空間だった。

東京には人が多い。

「人疲れ」というディズニーでしか経験しない奇妙なことが平気で起こる。

東京には人がうじゃうじゃいる。それはさながら蟻のよう。

私は人が多い場所が滅法苦手だ。

人口密度を何よりも気にする人間だ。

例えば大学生の頃、講義は必ず一番前の席で受けていた。

社会人になってから、満員電車が嫌で会社から徒歩15分以内の神楽坂に引っ越した。

とはいえ、当然満員でなければ電車に乗れるし、会社でも自分のデスクの隣に人がいても問題はない。

ただ、極度に密着したり、知らない人と長時間近くにいるとストレスがたまる。

人にはパーソナルスペースというものがあるが、私のパーソナルスペースはどうやら広いというより深いようだ。

現在、社会人になって数年経った。

時間が経ってもやはり、人口密度を気にしてしまう。

人の群れを見るのが、人の群れに参加するのが本当に苦手だ。

共感してくれる人は全くいない。

私の考えは異質なのだろうか。

私みたく、深いパーソナルスペースを持った者は存在しないのだろうか。

その疑問はある者との出会いで覆ることになる。

会社の外の喫煙所で座って吸っていた。

半分くらい吸ったところでアスファルトの地面に1匹の蟻が迷い込んできた。

地面には捨てられた赤いアメ玉が転がっている。

彼は真っ先にアメ玉に向かっていった。

なんとなくそれを見つめる。

どこからか2匹増えた。

彼らもまっすぐアメ玉を目指す。

そこから10匹、20匹、、、どんどん増えていく。

それが数え切れないほどになり、黒い塊がうじゃうじゃ動いている。

人間と一緒だ。

竹下通りに新しいクレープ屋ができれば人は群れをなす。

よみうりランドでイルミネーションをすれば人は群れをなす。

人間も蟻も似たようなものだ。

甘いものを見つけると無我夢中になる。

群れを発見すると甘いものがあると思いとりあえず群れに加わる。

人間と蟻の唯一の違いは、服を着るかどうかくらいのものだ。

原宿では個性的な髪型と格好をしている人がたくさんいる。

他人とは違った個性を持っていることの見せ合いっこだ。

彼らは個性を見せつけること自体が個性的ではないということに気づかない。

人間世界の群衆からの離脱を目指しているのに、なぜか個性の出し合いという人間世界の群衆に向かっている。

到底私には理解の出来ないことだ。

話を蟻に戻す。

蟻の中にも個性はあるようだ。

ものすごいスピードで動き回るやつ、ゆっくり動くやつ、アメ玉から離れないやつ。

ずっと見ていると、群衆の中に私を見つけた。

全員が一心不乱にアメ玉に向かう中、群衆から離れた場所で何もしないやつがいる。

彼は一体何をしているのだろう。

私の目は彼に釘付けだった。

彼をジッと見ていると、こんな話を思い出した。

100匹の働きアリを観察すると、20匹が良く働き、60匹が普通に働き、残りの20匹が何もしないそうだ。

これを2:6:2の法則というらしい。

なるほど、何もしていない者がいてもおかしくないのか。

蟻の世界が2:6:2の法則になっているのなら人間の世界もそうなっているのだろう。

彼も私も最後の20%に分類される。

私の考えていることと彼が考えていることは同じなのかもしれない。

群衆から距離をとっていて何もしてないのだから。

つまり、私の考えを共有してくれる存在は人間ではないところにいたのだ。

何も人間だけが世界に存在しているわけではない。

私の感性を共感してくれるのは人類以外の方が多いかもしれない。

今のうちに言語以外の方法で生物とコミュニケーションをとる方法を習得しようかな。

ちなみに2:6:2の法則の話には続きがある。

100匹の働きアリを観察すると、20%(20匹)が良く働き、60%(60匹)が普通に働き、20%(20匹)が何もしない。

ここで、何もしない20匹の蟻を排除すると、残った80匹のうち、20%(16匹)が良く働き、60%(48匹)が普通に働き、20%(16匹)が何もしない、という結果になるらしい。

働き者がいなくなると必然的に数匹が働き者になるようだ。

もし蟻とコミュニケーションが取れるようになったら、働き者に転身した蟻に理由を聞いてみたいものだ。



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