冬の寒さも徐々に和らぎ、うららかな春が訪れた。

杉の花粉と桜の花がせめぎあって評価に戸惑う季節だが、花粉症で人見知りの僕としては、新しい出会いと飛び交う花粉がたくさんで参ってしまう季節だ。

知らない人と話すのは、丸一日ほど放置してしまったLINEを返すこと並みに精神的体力のいる行為だが、中でもその立ち上がり5分。自己紹介の時間なんて別れた恋人から長文のLINEが届いた時並みの気疲れをしてしまう。

そんな僕は当然自己紹介が苦手なので、何を言うべきかとウンウン悩むタイプなのであるが、「多趣味なんです。」という言葉は必ず入れる。必ずだ。

言外に「取り柄は多趣味です」とか「多趣味なのすごいでしょ?」というような意味をこめつつ、実際にハマってる趣味を得意げに列挙してみたりする。

でもそれは自己満でしかないことも、ちゃんと知っている。

僕の性分は面倒くさがり。だから、こと趣味に関しては、初心者を抜けたくらい、ある一定のレベルに達するとそれ以上を目指そうとしなくなってしまう悪癖がある。

だから僕が何か一つの趣味に関して熱く語れるかというと、正直微妙なトコロだ。

そもそも、趣味を持つのが大変になるのはいつ頃からだろうか・・・

中学生や高校生の頃は、部活という形で自分のハマるものを選択することができ、その選択した趣味を好む仲間と、それにのめり込む時間を自動的に与えてくれる世界だったからもうちょっと簡単な話だったはずだ。

大学生になれば、高校よりももっとバラエティ豊かな趣味たちがサークルという形に整理され、今までのような部活と合わせて、選り取りみどりになるが、お酒やメンバーや雰囲気など色んな環境要因があるし、何より選択肢がたくさんありすぎると人間は選択の自由を失ってしまうものだから、中高生の時よりは、趣味選びを難しく感じた覚えがある。

そして、社会人になれば時間の制約が厳しくなるし、精神と体力もだんだんとすり減っていくというし、学生の頃からやっていた趣味以外へ手を出しにくくなってしまうのは当然のことかもしれない。

ただ、趣味があることは人生の充足につながる。きっとこれは間違いない。

テレビ朝日の長寿番組「人生の楽園」が撮るのは、趣味と生活を混ぜこぜにしたセカンドライフを送る生き生きとした人たちだし、インドアでもアウトドアでも何かに没頭している人たちの話す話は、熱と愛がこもっていて味が濃く、熱燗の良い肴になる。

僕のような色んな趣味に手を出すだけで、極めようとしない人。

何かに強く熱中し、膨大なエネルギーと時間を注ぐ人。

様々ある趣味への向かい方を見ていると、趣味とは「絵の具」ではないか?と思えてくる。

絵画の表現には、様々な形があっていいはずだ。

たくさんの絵の具で、カラフルかつアーティスティックに描いた分厚い油絵と同様に、黒い墨の濃淡だけで、薄い半紙に風情ある風景を描き切る水墨画もまた、人の心を動かすことができる。

しかし、絵の具をたくさん持っていたって、素敵な絵が描けると限らない。

たった一つの絵の具を、ぼかしたり、重ねたり、吹き流したり、こすったり、滲ませたり、色んな表現技法を使って、素敵な絵を作ることだってできる。

もちろん、色んな絵の具を効果的に使えば、それぞれの良さが相乗的に現れる新たな色を作ることができるし、一つの絵の具で書かれた絵にはないカラフルな世界を描くことができる。

どっちがいいとかどっちが悪いという話ではない。

どっちが絵の描き手に向いているか、というだけの話だ。

さらに、絵の具だけが絵の良さを決めるのではない。

使う筆、表現技法、構図、着眼点、様々な要素の一つとしてあるだけだ。

でもその中でも比較的大きな要素を占めるもの。

それが絵画における絵の具、人生における趣味ではないかなんて思う。

となれば、まずは、僕にとっての青色と赤色の使い方に絞って勉強することにしよう。

そんな決心とともに、コーヒーを流し込む、春うららかなある日の一幕でした。

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